プログラム
2014年6月21日(土)
会場:アルスホール(つくば文化会館アルス内)
13:30 開場
14:00 第1部 小編成アンサンブル
1. ドビュッシー/月の光
Claude Achille Debussy / Clair de Lune
2. ドヴォルザーク/テルツェットハ長調 Op. 74 より第1楽章、第2楽章
Antonin Dvorak / Terzetto in C major Op. 74 for 2 Violins and Viola
3. ラヴェル(編曲:下田正彦)/クープランの墓
Joseph-Maurice Ravel / Le Tombeau de Couperin
プレリュード(Prelude)
フォルラーヌ(Forlane)
メヌエット(Menuet)
リゴドン(Rigaudon)
*** 休憩 ***
15:00 第2部 弦楽合奏
星組
4. J.S.バッハ/フーガト短調 BWV 578 「小フーガ」
Johann Sebastian Bach / Fugue in G minor BWV 578
5. エルガー/弦楽のためのセレナード ホ短調 作品20
Edward William Elgar / Serenade for Strings in E minor Op.20
月組
6. C.P.E.バッハ/ 交響曲 変ロ長調 H.658
Carl Philipp Emanuel Bach / Sinfonia in B-Flat major H.658
7. J.C.バッハ / 交響曲 ニ長調 Op.18-4
Johann Christian Bach / Sinfonia in D major Op.18-4
8. J.S.バッハ / 管弦楽組曲第3 番 ニ長調 BWV1068 よりアリア
Johann Sebastian Bach / Air from Orchestral Suite No.3 in D major BWV1068
全体合奏
9. シベリウス / アンダンテ・フェスティーヴォ
Jean Sibelius / Andante Festivo
曲目紹介
クロード・ドビュッシー (1862-1918 )/月の光
『ベルガマスク組曲』第3曲「月の光」は、ドビュッシーのピアノ独奏曲の中でもおそらく最も有名な作品であり、様々な編曲版が発表されています。ガマムジカの演奏会でもかつて弦楽四重奏版を演奏したことがありました。今回はバイオリン+ピアノ編曲版を演奏します。長調の静かで美しい曲ですが、曲想はヴェルレーヌの同名の詩から採られており、「月明かりの中で仮面をつけた人々が楽しそうに踊っているが、華奢で儚く物悲しい。」といった内容だということです。物悲しい……。そういう経験には事欠きませんので、なんとか表現してみたいと思います。(K.D.)
アントニン・ドヴォルザーク (1841-1904 ) / テルツェットハ長調 Op. 74
弦楽四重奏のチェリストが留守をしたら、この曲くらいしか思い浮かばない。「くらいしか」という言葉はこの曲には失礼、実はチェリストが抜けると如何に大変か、作曲でも演奏でも。カルテットのときより多く個人練習をし(特に第1バイオリンは)、頻繁に合奏しています。毎回難しさを突きつけられ、新しい発見があり、厳しさも楽しさもつきない。特に作曲者本人が弾いたというビオラパートは楽しい。一番ドヴォルザーク らしく分かりやすい第3楽章スケルツォは、思い描くような弾き方ができず断念し、3声部がからみあう最初の2つの楽章を続けて演奏します。(H.K.)
モーリス・ ラヴェル (1875-1937 ) / クープランの墓 ( トンボー )
第一次世界大戦の最中に作曲された、ラヴェルのピアノのための組曲から4曲を選び、新たに編曲したフルートと弦による6重奏版で演奏します。曲名の”Tombeau「トンボー」”には墓碑とか墓、という意味がありますが、象徴的に故人のオマージュとして使われることもあります。音楽の分野、特にバロック時代にはトンボーと名付けた曲が数多く作曲され、ひとつの曲の形態として使われていました。詩の世界でも、ドビュッシー等に大きな影響を与えた、19世紀象徴派の詩人マラルメはボードレーヌ、ヴェルレーヌ、エドガー・ポーのために「~のトンボー」といった詩を書いています。ただ、邦訳の題目には、何故か今でも「墓」の文字が採用されており、不適切な訳語と言えるでしょう。ラヴェルもフランス・バロックを代表する大音楽家クープランに敬意を込め、この曲を構想しましたが、1914年、大戦が勃発し自身も従軍し中断します。その後、健康を害して除隊しパリに戻り、6曲からなる組曲を完成しました。それぞれの曲には大戦で亡くなった友人達の名前が記され捧げられています。1919年には作曲者自身、オーケストラのための曲に編曲しています。(M.U.)
ヨハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750 ) /フーガト短調 BWV 578 「小フーガ」
この曲の最大の魅力は、なんといっても主題の際立った美しさです。ひとしずくの水滴が溢れ出る泉のように展開していきます。「フーガ」とは対位法による音楽形式で、ひとつの主題を複数の声部が模倣しながら次々と追いかけて演奏する様式です。この「小フーガ」は1709年ごろ、バッハが宮廷のオルガニストとして活躍していた時代に作曲されました。主題の美しさと流暢な書法を特徴とし、バッハのオルガン曲の中でも、最も親しみやすいものの一つであり、管弦楽編曲によっても広く知られています。星
組では弦楽版にアレンジされた曲を演奏します。アルスホールに水滴が波紋のように広がったら素敵でしょうね!! (M.E)
エドワード・エルガー (1857-1934 ) /弦楽のためのセレナード ホ短調 作品 20
エルガーは教会オルガニストの子として生まれました。父に音楽の手ほどきを受けましたが、ピアノ・弦楽器・作曲はほとんど独学で習得しました。壮年期に作曲した「威風堂々」は第二のイギリス国歌とまで言われ、イギリスを代表する作曲家の一人です。「弦楽のためのセレナード」の第一楽章は、珍しくヴィオラから始まる三部形式。第二楽章は、美しい甘い吐息のように旋律が続き、後半はさざ波のごとくセカンドヴァイオリンとヴィオラがファーストヴァイオリンとチェロの旋律を引き立てています。第三楽章は二部形式で、最後に第一楽章が回想されます。エルガーは32歳の時、ピアノの教え子(キャロライン・アリス・ロバーツ)と結婚しました。有名な「愛の挨拶」は婚約時代にアリスのために作曲されたものです。そして結婚3周年を記念して8歳上の愛妻に贈ったのが、「弦楽のためのセレナード」です。随所に奥さんに対する愛が感じられるのは、私一人ではないでしょう。最後にエルガーの言葉を皆様に贈ります。「音楽は空気の中にあり、音楽は私達のまわり至る所にあり、世界は音楽に満ちていて、あなたは求めるだけそのまま手にできるのだ」 (じうママ & H.H)
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (1714-1788 ) / 交響曲 変ロ長調 H.6 58 (1773 年の作品)
ヨハン・クリスティアン・バッハ (1735-1782) / 交響曲 ニ長調 Op.18-4 (1774 年の作品 )
ヨ ハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750 ) / 管弦楽組曲第 3 番ニ長調 BWV1068 よりアリア (1717 年の作品 )
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ生誕300年の本年、バッハ一族3人の作品を並べてみました。カール・フィリッ プはBach家の次男で、プロイセン王国のフリードリヒのもとでの宮廷チェンバロ奏者を経て、ハンブルグの楽団の楽長となる。21歳年下の末子ヨハン・クリスティアンは、ミラノ大聖堂オルガニストなどを経て、ロンドンで活躍。「カール・フィリップがハンブルクにおいてテレマンの後継者になったように、ヨハン・クリスティアンはロンドンでヘンデルの後継者となった」とか、「弟ヨハン・クリスティアンがモーツァルト を教え導いたように、カール・フィリップの作風は、ハイドンやベートーヴェンに多大な影響を与えた」とか言われている。詳しくはWikipedia を見ていただくとして、この2人の同じ頃のシンフォニーを演奏します。演奏してみても、聴いてみても、バロックから古典派に推移する時代を感じる曲です。2曲とも古典派交響曲の定型の4楽章編成ではなく、古い急・緩・急の三楽章の構成ですし、カール・フィリップの曲のスコアにはバロック音楽の伝統的な通奏低音のチェンバロのパートが書かれています。しかしこの1773年には、ハイドンは既に50曲以上の交響曲を作曲しているし、モーツァルトも第25番ト短調の交響曲を書いています。いわゆるクラシック音楽の時代は始まっているのです。ともかく、カール・フィリップの第1、第3楽章はStrum und Drank(疾風怒濤)だし、第2楽章は幽玄、ヨハン・クリスティアンには典雅流麗という言葉が似合います。対して父親の大バッハの曲としては、アリアを選びました。あくまで私見ですが、この曲の有名な通称はそろそろ忘れていただきたいものです。Vn とピアノのための編曲は19世紀のもの、古楽器復権の20世紀を経て、今は21世紀、「古楽器」は「ピリオド楽器」と名称を変え、原譜どおりにこの曲が弾かれる機会の方が多いのではないかと思うからです。しかも、主旋律とからみあう2ndVn とVaの内声部をピアノに譲り渡すのはもったいないものです。(H.K.)
ジャン・シベリウス (1865-1957) / アンダンテ・フェスティーヴォ
シベリウスは1922年にフィンランドのサウナトサロ製作所の25周年記念式典のための祝祭カンタータの作曲を依頼されました。しかしそれを受けたシベリウスは弦楽四重奏曲を創作しました。それがアンダンテ・フェスティーボの名で親しまれているこの作品です。その後1938年にシベリウス自身が弦楽合奏とティンパニ(任意)に編曲しました。そしてこの弦楽合奏版は1939年1月1日、作曲者自身の指揮、フィンランド放送交響楽団の演奏により初演されます。このときの録音は1970年代初頭にレコードとして発売され世界中で愛されていましたが、後にまったく別の指揮者(おそらくトイヴォ・ハーパネン)のリハーサル演奏であったことが判明します。1995年には本物が発売され現在にいたります。シンプルながら暖かい主題が形と調を変え滔々と流れていく大変美しい曲です。(Y.S.)